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鷹島海底遺跡―長崎県北松浦郡鷹島町神崎港―における発掘調査体験記 はじめに 大学で考古学を専攻している私はこの夏、九州・沖縄水中考古学協会が長崎県鷹島にて実施した海底調査に参加しました。調査期間中は協会員の方々をはじめ、様々な方にお世話になりました。改めてこの場でお礼申し上げます。 調査日時: 2001年8月1日〜8月10日 調査地: 長崎県北松浦郡鷹島町神崎地区 調査概要: 九州長崎県の鷹島は弘安の役の際に元寇襲来の舞台となった土地である。昭和57年(1982年)鷹島南岸が周知の遺跡とされ、これまで数回にわたって元寇関連の調査が実施されている。昨年(2000年度)も神崎港改修に伴い緊急調査が実地された。今年度も引き続き8月16日から9月末まで同地区において緊急調査が実地される予定である。調査方法は岸から沖に50M、水深約10Mの地点に基準点を落とし10×2のトレンチを敷き、水流ジェットポンプによりトレンチ内を掘り下げて行くものである。 調査の主な成果:水中での発掘調査の過程は基本的に陸上の調査と差異は無いが、海底土壌を掘り下げる方法に多少の違いが認められる。水流ジェットポンプを使用しての作業もその一つである。この道具は海中の状況によりその使用を変えていかなくてはならず、水中が陸上以上に周囲の環境に影響を受けることがわかった。遺物、遺構に関しては壺を中心とした遺物7点が確認できその中の1点は完形に近いものであった。いずれの遺物も今までの調査で確認された範囲のものである可能性が高い。 調査の状況と進展: 九州・沖縄水中考古学協会の林田会長が中心となり10日間行なわれた調査に見学・参加させて頂いた。神崎地区はすでに数回の調査が実施されているため、現場の実測数値は以前の計測地点などを利用することができる。今回のトレンチの設置にあたっても昨年(2000年度)に使用したポイントを使用した。また、同港は緊急調査を控えているため水準点も設置されている。ポイントを海中に落とす際には、プロダイバーが水面にブイを持って待機、測量器を使用して陸上であらかじめ合わせたポイントと水面のダイバーが重なった地点でブイの重りを投下した。この海中に投下されたポイントを基準に東西南北に沿ったトレンチを設置した。初日にこの作業を終え、2日目からトレンチ内を掘り進める作業に入った。 潜水作業班は2チームを編成、それぞれ午前と午後に作業を行う。1チームの人数は最低3名となった。このチームにより水流ジェットポンプを使用し土を取り除いていく。前回までの調査で遺物が確認できる層の見当はついているため、その層が確認できるまで掘り下げる。 今までの調査結果から神崎地区の土層は4層に分層されている。第T層は10〜20センチの砂層である。この砂層は防波堤の浚渫工事後に持ち込まれた砂が堆積したものであり、客土である。第U層は20〜30センチのオリーブ黒色の砂層シルトでこれが本来の第T層である。第V層は20〜100センチの灰色砂層で貝殻小破片を含む層である。第W層は70センチ前後の貝殻片を主体とする砂層である。それ以下の層は死貝と礫の堆積が確認されている。これらの層の中で第V層までに缶・ビニール・瓶・プラスチックなどの混入物が確認されている。元寇関連遺物は主に第W層から死貝・礫層上面に確認できる。(註1) 以上の結果を踏まえ今回の調査でも死貝・礫が確認される層までは水流ジェットポンプを思い切って使用できることになる。 協会のダイバーとプロのダイバーにより遺物包含層まで順調に掘り進むことができた。その中で一番の問題となったのは視界の悪さである。水流ジェットポンプはトレンチ内の砂・シルトをトレンチから離れた場所に吐き出しているが、海底を掘り下げる際にある程度は砂・シルトが舞い上がってしまうのである。さらにダイバーが作業をする際にも砂・シルトは舞い上がってしまう。視界の不良はトレンチが深くなるにつれひどくなる。これはトレンチの底では潮の流れの影響が少なく、砂・シルトがその場に留まってしまうためである。ひどい時は視界10cm未満の時もあり、自分のまわりに砂の壁ができたような錯覚を覚える。この状況は自分も含め潜水技術が未熟で経験の少ないダイバーにとって非常にやっかいである。自分の位置の把握が困難であり、バディの位置も分かりにくい、この中で発掘作業、遺物・遺構の確認をしなければならない。 この場で告白するが自分も視界の悪さに戸惑い、ポンプをトレンチからはみ出して使用してしまった。気づいたら時すでに遅くあわててもとの位置にもどったが、視界が良くなり周囲が確認できるようになるとトレンチの一部が大きく凹んでいた。許されないことである。 また、ダイバーが水流ジェットポンプを扱うにしてもバランスの取り方が難しく、効率に砂を取り除くには経験と技術が必要であるとわかった。また、砂を舞い上げないダイバーの技術も要求される。 作業中に視界の悪さを完全にクリアーすることはできないが、潮の流れを考慮し水流ジェットポンプと体の向きを工夫しながら状況を良くすることができる。 水中で遺物が確認された後は、陸上での発掘と変わりない作業がおこなわれる。トレンチ内での位置だし、レベリング、土層の確認といった作業が今回おこなわれた。使用した器材も電子機器以外であれば大抵は水中での使用に問題はない。しかし、浮力や動きの不自由さを考え、細かな工夫は必要であり、シンプルなものが扱い易いようである。中に空気がこもりそうな道具には穴をあけるなど些細なことであるが大切であると感じられた。発掘は以上のような経過を経て終了した。 調査を通しての思い: 10日間の調査を終えた後、2日間ほど激しい腹痛に苦しんだ。その理由は調査最終日に食べたカキだとはっきりわかっている。発掘現場の海岸にはカキがあちこちに見られ、ある調査員の方に薦められ調子に乗ってその中のひとつに手を出したのがいけなかったらしい。 この時の苦しみはいやでも自分が海で発掘していることを思い出させた。水中での考古学は陸上と同じものを目指してはいるが、環境の違いから全てが同じというわけにはいかない。陸上では味わうことのできない思いをするのもまた事実である。現場となった鷹島神崎港には目を楽しませる生き物がウロウロしている。グリットを設置するために海底に打った鋼管には1cmほどのカワハギの幼魚が群れていた。 水中考古学は聞きなれない言葉であろう。それはまた、水中での考古学調査の事例が少ないという事実を反映している。その理由は、現在日本の考古学調査は工事に伴う緊急調査が主体であるため、水中でも同様に緊急調査が無い限り調査が実地されないといった考古学そのものあり方を問う問題、安全で十分な潜水調査をできる考古学者がいない事実、発掘のコストが陸上より割高になってしまうことなどがあげられる。現場でこのような問題に囚われていることは良くないと指摘されたが、この事実を感じさせるのが現状である。 しかし、このようなことはどの学問にも言えることである。そしてこれらの問題を解決するためには自らの意識を変えていかなくてはならない。大学に戻り自分の成果を話し終え、腕組みをして聞いていた先輩は「水中での調査か〜、想像できないなあ」という感想をもらした。考古学を学んでいる人の意識もまだ、水中にまでは至っていない。わたしの意識はすでに水中にあるので、なるべく多くの人に水中での調査を知ってもらおうと考えている。 なにもまた、水中はデメリットばかりでは無いのである。陸上の調査で空中を飛ぶことは出来ないが、水中では水中では浮かぶことができる。簡単に遺跡、遺物を真上から見ることができ、これらを平面にとらえることができる。酸素の少ない水中で遺物の保存が良好な場合もある(逆に悪い場合もある)。水中での調査活動を考古学者が自分のものとした時は考古学も変わっている。 水中考古学であるジョージ・バス氏はその著書の中でこう述べている。 「水中考古学は、もちろん、たんに考古学とよぶべきものである。われわれはトルコのニムルド・ダーハの頂上で仕事をする人たちのことを山岳考古学者とはいわず、グァテマラのティカルで仕事をする人たちをジャングル考古学者とはいわない。」(註2) 参考文献 鷹島町文化財調査報告書 第2集 「鷹島海底遺跡V」 鷹島町教育委員会 1996 (註1)「海揚がり」の陶磁器と「海底出土」の陶磁器−長崎県海底遺跡の様相― 小川光彦 (註2)水中考古学 ジョージ・F・バス 訳水口志計 |